ゼミでの議論でも、いつも論点は
「フリーライダー」と、「制度的な実現可能性」に絞られるような・・・
思うに、
議論する人々が、主観的に議論しているなら、「フリーライダーを許せない人」というのは、フリーライドされる側の人だろう。
逆に、ボクなんかだと、「フリーライド」したい(コラッ!!)から、「フリーライダーを許せる人」にカテゴリー分けされますが、
まぁ、何が言いたいか、というと
そのような意味で「フリーライダーを許せない人」が多いのだとしたら、
よほど、「働きたい」・「働かざるをえない」と思っている人が多いということにもなるのではないか
ということでした。。。