感じたことなのか-スイカに塩をちょっとふりかけて食べるとおいしいんだよの法則

「さくら」をタイトルにした歌がはやってたけど、ほとんどが「別れ」をテーマにしているのはおかしいのではないか。桜とは、そもそも春の「出会い」などのイメージの季節のはずなのに。

という意見(大意)について、雑感をば


芽吹きの春を隠喩する「さくら」をタイトルだったり、モチーフにしながら、まったく逆に「別れ」を詠うことは、実は、まっとうな演出法なのではないでしょうか。
たとえば、スイカに塩を少しまぶして食すのと似た現象を期待できるのではないかと思うわけです。(塩)カライを少し潜ませることでアマイをより堪能できるから、あーやって食べてるんですよね、確か・・・。
基本的に「別れ」をテーマにした詞を作りつつ、そこに「さくら」を潜ませる(または、堂々と設置する)ことで、われわれの感覚にすでに刷り込まれている「春・桜・芽吹き・出会い・再生」などの連想をかきたてることで、テーマとしての「別れ」により強い切なさを演出できたのではないか、と、思ったりしたわけです。


そんな、「もののあはれ」的な叙情、結構好きです、ボク。