始まりを祝福せよ


祭りによって、日常に蓄積された矛盾が「はらされる」必要があるように、
始まりにまつわる混沌や矛盾や理性的に追う事のできない一方向の感情の収斂が、祝福の言説実践によって解消されざるを得ないし、もう、後戻りもできないことを覚悟する。始まりの罪は、原罪の贖罪を待ち続けることさえ放棄する。そこには、罪はなかったことにされる。

出生は祝福される

罪があることが、すなわち悪なのではない。
罪があることを隠蔽すること、そして、その罪が贖罪されえないシステムに安住することが