「もっとシッカリ編集しろよ」っていうよく聴く愚痴

別れ話
女、男の頬をバチン
ダッシュしてカットアウト(この時、女はショルダーバッグを持っていない)
次のシーン
帰宅して玄関で靴を脱ぐ女(この時、女はショルダーバッグを持っている)

この男女は別れ話をするために「この場所」に男の車に乗って来たのだが、この問題のバッグは、その車中においてあるはずだった(「この場所」は屋外で、この男女は立って話をしており、また、まわりに荷物を置いておいても自然なベンチなどもない)。で、女が帰ってきた時にバッグを持っていたということは、ブチ切れて、はたいてダッシュ(もちろん映像としては、その車の反対方向へダッシュしているからなおさらおかしい)した後に、男の車まで取りに戻って来るか、忘れ物に気づいた男からバッグを手渡されるかしなければいけない。でも、切れてもう冷静に話せない状態になって走り出して、帰宅のシーンでもそのテンションの余韻が十分に描写されているので、女はあのまま走るなり歩くなりして、男と接点を持たずに帰宅したと考えるのが自然だと思われる。
それなのに、「カバンを忘れた」という点においては非常に冷静になって、忘れ物を取り戻しに男のもと(車)に戻ってきてやり取りをしたのであれば、むしろ描写としてはリアリティがあって積極的に描かれてしかるべきだったのではないだろうか。にも関わらず、そのシーンが「無い」ということは、そのような「モノ」的な冷静さやリアリティは脚本の中では考慮されておらず、はたいてダッシュのシーンでもともとバッグを持っているという設定にするか、帰宅時にバッグを持っていないか、のどちらかにしておかなければならなかったというただの不注意を露呈したシーンとなってしまっていた。

至極、残念である。