後期ゼミ研究-なんか、ディープで沈みがちな自分-

「人が生まれさせられる」という事実についてを研究対象としている、今のところ*1
ボクには、どうしてもわからないのが、どうして子どもを生むことが自然に繰り返されてきたか、ということ*2。う〜む、わからない。


ま、それはそれとして置いておいて

「ワタシは生まれさせられてしまったが、生まれたくなかった」と確信する人が、少なからず存在することは容易に想定できる*3。しかし、その人が「生まれさせられる以前の状態」に戻ることは不可能である。また、このような「なぜワタシは生まれてしまったのだろう」という類の問いは形而上学的な問いになってしまって、現実を生きる上では、「そんなことをいっても仕方ないじゃないか」と結論付けられてしまう*4。ゆえに、この種の問いは人と共有することが難しく、さらには、苦しみの表出さえしくい情況を生み出してしまう。
(ここからは、Political scienceの領域としてなんとか出来ないかな、というお話。)もう一度、繰り返してしまうけれど、そんな苦しみを持っている人が「生まれさせられる以前の状態」に戻ることは不可能なこと*5である。その人たちの苦痛を最小限にしたり、なんとか生きていくことを支援*6することに政治学は力を発揮できるのではないだろうか。

  • 親子の衝突
  • 人と社会の衝突
  • もっと他にもあるはず


「生まれさせられる人」というアクターの設定をした場合に予想できる上記の問題の分析や、解決方法の探究。

*1:このテーマで最後まで通すことが出来るのか自信がない

*2:単純に言えば、そんなこと問題にする人はほとんどいないということか。単純に言えば、本能か!?ジェンダー的には問題発言か!!でも、いくら遺伝子が命じていても、自分の愛すべき子どもが、自分の行いによって苦しむ可能性があることを、創造できる力が人間にはあると信じたいが。しかし、子どもが不幸になる可能性と、そうでない可能性は、基本的に後者のほうが大きい、、、と考えられているのではないかな。少なくとも、親心としては、子どもに幸せになって欲しいと願うのは「自然」だし、子どもが生まれたらできる限りのことをしてやろうと頑張るのも、親として、微笑ましい心意気だと思う。やはり、もともと、問題がほとんど表出しないし、もともと問題はほとんど存在しない、というあたりが一番大きな原因だろう、、、

*3:本当か!?

*4:ボクも、この問いを考えているとドンドン苦しくなりますです、ハイ

*5:「死ぬ」と「生まれさせられる以前の状態」に戻ること、とは別だと考えられる。少なくとも「死」には、恐怖なり、苦痛なり、何かを失うことなりがつきまとう。

*6:なんか偉そうな言い方になってしまうけれど、もっと中立的な表現はないかしらん。