無いはずのものが有るという不思議

真理などない(なさそうだ)という気分とともに、それ「真理がないということ」だけが真理になる矛盾に、にやっ、としつつ、まぁ、ということで何やったって変わらないな、とあきらめるかといえばそうではなく、なんとなく自分自身のためだったり、近しい人のために、「善いこと」をしたいと思ったり、何か自分の信じる「善さ」が想定できてしまうのが、不思議だよね。