だから、全て嘘だ。そして、私には分からない。決定不可能なものを決定してしまう自分の無責任さを

私は、ジェンダー的なものにコミットし切れない。なぜなら、ジェンダーは、出産や中絶に関して、女性の自己決定権という観点から議論することはできても、「子ども自身(そうして生まれさせられるもの)のことを考慮して、決定することが、できるのかどうか(もちろん、私は決定不可能と考えている*1 )」という問題に触れられないのではないか、と苦慮しているからだ。もちろん私は「女性の自己決定権」という観点が必要であることを認めることは、やぶさかではない。しかし、ジェンダー的な思考が、それで満足して、「決定不可能なもの」がまるで決定できてしまうかのように考えられてしまうかもしれないということに、恐れを抱くのだ。それが、杞憂であればよいのだが、杞憂ですむのかな?

*1:ある種の「本質主義」にとっては、種の保存は自然的なものとして、推奨・絶対化されてしまうかもしれない・・・