逆に、本当に無駄なことばっか

誰も傷つけたくない

という言及は、偽善である以上に偽善であった。


誰も傷つけられない

という無能感を覆い隠すように、「たくない」を連呼するだけだ。決定的に、ボクは「誰も傷つけられない」。どれほど傷つけたくとも*1、ボクにはその力がない。
この無能を覆い隠すために装われた善が、「たくない」なのだった。

*1:そう、多分ボクは、傷つけたかったのだ。