plainC「一時期、ネット社会の弊害として、communicationの変質が語られました。非対面化したcommunicationは私たちから、言語以外のreactionから得られる情報を奪った、表情や声色の変化を感じ取る機会を奪ったと。そしてそれが、問題だとさえいわれてきました。それに関わりがあるのかと思うのですが、私は砂時計の中にいると落ち着きます。この中では私のactionは、届けるべきあて先を剥奪される宿命をもって送信されます。私は、自らcommunicationから論理的な応答が返される可能性を奪っているのです。そして、私に時々届けられるmessageも同じ宿命を背負ってやってきます。この手紙を読むのは本当に気の遠くなる作業です。どこの誰とも知れない誰かの信条が書き連ねてあったり、届けようのない要望が書いてあったりするのです。まるでお昼のワイドショーを他人事として娯楽にするのと同じ意味のない重厚な時間の積み重ねのようなものです。」