観察者C「もし助かる可能性がある方法を試せるのと、試せないのと、二つの選択肢をキミと分け選ばなければならないのであれば、僕はキミに可能性を試す方の選択肢を選んで欲しい。僕の人生は擦り切れて十分に使い込んだ。自分の責任で選んだ人生の結末が今のこの底辺でのくすぶりなのだから仕方ない。でも、キミはまだ引き返せる場所にいる。だからキミには僕以上に助かるべき理由がある。だからキミが可能性の有る方法を試すべきだと僕は思っているんだ。」

ボクは、枕もとの照明を消して頭を枕にあずけしばらく目を閉じてからもう一度目を開いた。その照明器具には余熱のように光が残っていて、仄暗く存在証明を続けていた。アデルが、そのためなら喜んでリスクを負おう、と歌っているのを聞きながら、ボクは春樹について考えてみた。世間で彼の作品をどのように評価しているのか、批評しているのかをボクは全くフォローできていないけれど、僕の考えでは、春樹の作品のユニークさは現実ではないこと現実には起こりそうもないことを現実として現実に起こりえて当然のこととして物語を展開する部分ではないかと思っている。SFを読む読者は、SFの世界で起こることを起こってもよいこととしてとらえながら物語を読み進めていくけれど、春樹は、そのある種SF的なことを現実の文脈にそのまま持ってきても違和感がないような形で物語をつむいでいる点にユニークさがあると思っているんだ。春樹の読者は現実の文脈で現実的ではない出来事を目撃し体験する(そして、それを非現実的と認識しつつ現実として自然に受け入れる)物語の主人公たちと同じ次元に自分達をおくことができる。この意味で、いわゆるSFというジャンルでも、純文学というジャンルでもない別のジャンルのさきがけなのではないかとさえ思う。蛇足だが、それゆえに評価者たちは春樹の作品に日本の文豪の名を冠した文学賞を授賞させられなかったのではないかと。

18歳の少女C「もしも私にその価値があるのだとしても、私にはその道に進むことはできないと思う。あなたは私がなぜ高校を中退したのかをきかなかったし、私も話さなかった。あなたはなぜ私が夜の世界にいるのか聞かなかったし、私も話さなかった。夜の世界にいるといろんな人に出会ってそうでなければ知ることもできなかった視点を得ることができるような気がする。あの世界では得られないもの。でも、20前半でこの世界から足を洗ってまた、あの世界に戻るつもり。そこが私の場所だから。でも、いくら視点を広げていたとしてもそこには救いはないんだけどね。それはなんとなく分かってはいるんだけどね。」