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もし、高度10万メートルから「そーっと」落ちてこられたらそんな素敵なスカイダイビングはないな。
水滴が落ちるのよりもゆっくりと。
クリスマスプレゼントであげようと思っていたものが、延び延びになって誕生日プレゼントになってしまうのとはまた違った感触のゆっくりさで。
砂時計の上の世界と下の世界はそういう風に区切られています。
あのクビレから砂が落ちるその瞬間、というよりも落ちることが運命づけられて上の世界にいるというその事実とその確約がいつの間にか果たされて下の世界にいるというその事実が砂時計の世界を形作っています。
砂時計をひっくり返すのが政治の力です。
砂時計を垂直方向から水平方向に置きなおすのが宗教の力です。
「砂時計の輪郭を壊すのが私の力です。」
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世界をもう一度はじめからはじめるために
ボクC「車に乗ることは人が確率論的に車社会に殺されることを緩やかに肯定することだ。」
「だからボクは車を運転しない」
「馬鹿にするやつを小馬鹿にする」
「人の命はこの星の重さより重いから」
「人の命は、車が売れることの総利益÷犠牲者の数、と等価ではないから」
「原発で被害をうける、自動車事故で被害を受ける」
「比べられないが」
「原発は非難されて」
「車が免罪符を受け取っている理由はなにか」
ボクC「ボクは子供をうまない」
「子供に命を与えることは、命を奪うことと正反対の同じ暴力だから」
「ボクは、命を与えてしまった子供に殺されることを肯定しなければならない」
「命をあたえるという暴力を振るうのと同じように命を奪うという暴力振るわれることを正確に正確に認識して、その違いを論理的に説明できないからだ」
ボクC「ボクは世界を諦めた」
「だからやり直す」
「次のボクがもう一度諦めなくて済むように」
「誰かが同じようなことを考えていたんだと」
「次のボクが発見できるように」
「あわよくばそいつがボクを乗り越えていってくれるように」
「300年後、300年前にどうしようもなく世界は周縁部しか残っていなかったことに気づいていたと、言葉あることを願う」
- 作者: 森川輝一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/07/16
- メディア: 単行本
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音楽がとまってびっくりして目が覚める。
そう、ボクはまだ眠ってはいけなかったんだ。
4:13
5時間待ったがまだ来ない。
いっぱい食わされたんだ。
ボクは手元のPCをタイプする。Aは悲鳴、Bは怒り、Nは諦め。
僕の左の小指はAをたたきすぎて悲鳴を上げている。
僕の右手の親指はNをたたこうとしていつもMをたたいてしまう。
Mは陳謝。
なにも僕があやまる必要は全くないのに。
悲鳴と、怒りを表したいのに陳謝してしまう勘違いの行動。僕の人生なんて結局そんなものなのかもしれない。
ボクはもう一度音楽をかけなおす。次にとまるのはまた5時間後。ボクがそのとき生きているかは知らないけれど、次に音楽の世界が終わっておきたときにはボクは5時間トシをとっている。そこにはどんな言い訳が待っているんだろうか?
Gotye♪キミはもう、昔の知り合い。君の愛なんてどうでもいい。ただキミが電話番号も変えて僕のところにおいてあったレコードを他人に取りに来させて、僕を全くないものとしたのがどうも癪に触るんだ♪
ボクは、僕の言い分だけを音楽に乗せて、彼女の言い分を聴かずに目を閉じた。次の5時間の準備のために。
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観察者C「もし助かる可能性がある方法を試せるのと、試せないのと、二つの選択肢をキミと分け選ばなければならないのであれば、僕はキミに可能性を試す方の選択肢を選んで欲しい。僕の人生は擦り切れて十分に使い込んだ。自分の責任で選んだ人生の結末が今のこの底辺でのくすぶりなのだから仕方ない。でも、キミはまだ引き返せる場所にいる。だからキミには僕以上に助かるべき理由がある。だからキミが可能性の有る方法を試すべきだと僕は思っているんだ。」
ボクは、枕もとの照明を消して頭を枕にあずけしばらく目を閉じてからもう一度目を開いた。その照明器具には余熱のように光が残っていて、仄暗く存在証明を続けていた。アデルが、そのためなら喜んでリスクを負おう、と歌っているのを聞きながら、ボクは春樹について考えてみた。世間で彼の作品をどのように評価しているのか、批評しているのかをボクは全くフォローできていないけれど、僕の考えでは、春樹の作品のユニークさは現実ではないこと現実には起こりそうもないことを現実として現実に起こりえて当然のこととして物語を展開する部分ではないかと思っている。SFを読む読者は、SFの世界で起こることを起こってもよいこととしてとらえながら物語を読み進めていくけれど、春樹は、そのある種SF的なことを現実の文脈にそのまま持ってきても違和感がないような形で物語をつむいでいる点にユニークさがあると思っているんだ。春樹の読者は現実の文脈で現実的ではない出来事を目撃し体験する(そして、それを非現実的と認識しつつ現実として自然に受け入れる)物語の主人公たちと同じ次元に自分達をおくことができる。この意味で、いわゆるSFというジャンルでも、純文学というジャンルでもない別のジャンルのさきがけなのではないかとさえ思う。蛇足だが、それゆえに評価者たちは春樹の作品に日本の文豪の名を冠した文学賞を授賞させられなかったのではないかと。
18歳の少女C「もしも私にその価値があるのだとしても、私にはその道に進むことはできないと思う。あなたは私がなぜ高校を中退したのかをきかなかったし、私も話さなかった。あなたはなぜ私が夜の世界にいるのか聞かなかったし、私も話さなかった。夜の世界にいるといろんな人に出会ってそうでなければ知ることもできなかった視点を得ることができるような気がする。あの世界では得られないもの。でも、20前半でこの世界から足を洗ってまた、あの世界に戻るつもり。そこが私の場所だから。でも、いくら視点を広げていたとしてもそこには救いはないんだけどね。それはなんとなく分かってはいるんだけどね。」
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アンリ「ハグハグしてください」
あの時、生まれたばかりで瀕死の仔犬だったのにいつの間にかワンパクな娘さんになってしまいましたね。飼い主が生きるか死ぬかの人間関係のなかで精神をすり減らしているときに、行かざるをえなかった獣医院の清潔感は今思い出すと異常すぎて気持ちが悪くなります。
泡を吹いているあなたをタクシーの中で抱きかかえながら、唯一の心のよりどころだったあなたまで失ってしまうのかと、本当にどん底でした。
今もあなたは私のたった一つの癒しの元。いつまでも私の隣にいてください。
人間の男なんて、もうみたくない。
こんな仕事もう嫌。
精神的に限界って日記にあげてるのは、客をよんだり同情して欲しかったり、するからじゃなくてそれ以外出てこないから仕方なく書いてるだけ。
あなただけ。一緒にいて私が人間でいられるのは。
あなたのおかげで、手首の傷も少なくなってきた。
もう少しがんばろう。日の出くらいまで自分を消していれば、一人になってあなたに見守ってもらって眠れる。
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無知で調教された象の泣き声は、お守りの鈴の音よりも小さい。
彼女が祖父母よりも寿命が短いと聞かされて、家路ですれ違うすべての人がボクより幸福に見えた日。ボクは確かに何かを失っていた。
病気の彼女を捨てたボクは、普通に仕事をし、ラウンジで酒を呑み、その場でしか接点のない女にけだるい話をし、迫りくる性欲に飲み込まれ沈殿した。
ロックでオーダーしたウイスキーが生暖かい水割りに成り果てたとき、ボクは確かにまたひとつ失っていた。
この不幸を感じるために生まれてきたのであれば、誰に何の特があったのだろう。きっと誰かがほくそ笑んでいる。君の人生は君が引き受けるんだ。
ボクと彼女の間に生まれるはずだった子供たちは、巡回サーカスのピエロが連れて行ってしまった。子供たちは、母親を道連れにした。
なぜ、ボクは残されたのか。
彼女に必要とされなくなったボクは、急激に蝕まれていく。
女は笑っているが、不信の笑みであれば瞳は見えない。視線をそらすのであれば、ボクが目を合わせる前にそうするべきだったんだ。落ちるのであれば上が在ることを忘れてはいけない。それを忘れてしまえば、この世から空中ブランコは存在できなくなるし、恋もできなくなる。
呪文のように問い合わせ続けるんだ。なぜって、
404エラーが発生するまであきらめちゃいけない。君はボクとは違うのだから。